主な作品/œuvres

・Dreamy Dreamer’s Dream

ソロ・ピアノのためのアレンジ・バージョン。4つの和音による伴奏の繰り返しに対し、即興的なメロディが奏でられる。
古き良き時代への憧れ。殊に60年代〜70年代といったイメージを連想させ、ノスタルジックな雰囲気を持っている。
別バージョンが Audiostock より音素材として提供されている。音源

・水の戯れ 木管六重奏版 / JEUX D'EAU pour sextuor à vent

ラヴェルのピアノ独奏曲を、フルート2本(第1奏者はピッコロ持ち替え)、クラリネット2本、オーボエとファゴットが1本ずつによる木管六重奏へと編曲した作品。
ミュージック・ベルズより楽譜が出版されている。楽譜

モーリス・ラヴェル(1875〜1937)

近代フランスを代表する作曲家。19世紀末から20世紀にかけて活動し、管弦楽曲、ピアノ曲、室内楽、歌曲といった作品を残している。殊に「ボレロ」の作曲者、「展覧会の絵」の編曲者として知られている。演奏家としての活動も国内外で精力的に行い、ピアニスト、指揮者として出演した。

母親の出身地であるバスク地方シブールに生まれ、生後3ヶ月でパリに住み始めた。音楽通の父親は、幼少の頃からあらゆる種類の音楽に惹かれていた息子に対し好意的に接し、6歳頃からアンリ・ギス、シャルル・ルネにピアノを習い始めた。ルネには和声法や対位法、作曲法の教えも受けている。
1889年よりパリ音楽院に在籍し、ピアノと作曲を学んだ。師としてシャルル・ド・ベリオ、アンドレ・ジェダルジュ、ガブリエル・フォーレがいる。1900年よりローマ賞へ作品を提出し、2回目となる1901年に第2大賞を得ているが、年齢制限という点で最後の挑戦となった1905年には予選での落選となった。この時すでに「亡き王女のためのパヴァーヌ」「水の戯れ」等を発表していたラヴェルが予選で落選したことは波紋を呼び、パリ音楽院院長辞職にまで発展する事件となった。

1900年代後半、作曲に対する創造性が極度に高まっていく。「博物誌」、「スペイン狂詩曲」、「夜のガスパール」、「ダフニスとクロエ」といった作品が発表され、西ヨーロッパ、アメリカ、北アフリカで演奏された。作曲者自身による国内及び国外での演奏旅行も頻繁になる一方で、セザール・フランクの没後、ヴァンサン・ダンディが中心的存在となっていた国民音楽協会のラヴェルに対する冷遇は強まり、1909年同協会を退会、ガブリエル・フォーレ、シャルル・ケックランらと共に独立音楽協会を結成する。

1914年第一次世界大戦勃発、1915年より第十三砲兵連隊にトラック輸送兵として入隊する。1917年母親が他界。この頃から創作意欲は衰え、唯一以前から作曲中であった「クープランの墓」が発表されたのみで、実質的には3年間ほど新作が発表されず、復帰後も年に1、2作というペースとなった。1920年、レジョン=ドヌールのシュヴァリエ章にノミネートされたが受勲を拒否。3ヶ月に亘る騒動の末に、公教育大臣と大統領により授与撤回された。1921年、モンフォール・ラモリに購入した屋敷の大規模な改修が済み、終のすみかとなる。「ル・ベルヴェデール」と名付けられた。

1920年代は、作曲家としての活動は低調となるものの、演奏家としての活動は盛んであった。1926年には演奏旅行のために訪れていたブリュッセルで、ベルギー国王からレオポール勲章シュヴァリエ章を授与され、1928年には数年間に及ぶ交渉の末、アメリカ、カナダでの4ヶ月に亘る演奏旅行が実現する。同年、パリ・オペラ座でバレエ「ボレロ」が初演される。オックスフォード大学から名誉音楽博士号を授与された。

1930年、出生地であるシブールにて催された、ラヴェルを讃える祝典に参加する。生家に記念プレートが取り付けられた。1932年パリでの「ピアノ協奏曲」の初演を皮切りに、マルグリット・ロンとのヨーロッパ20都市での演奏旅行へと出かける。ブカレストでは、王から勲章を受けた。演奏旅行後、映画「ドンキホーテ」のために作曲していたが、最終的にジャック・イベールが起用された。曲は「ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ」として発表され、最後の作品となった。同年、パリでタクシーの衝突事故に巻き込まれ、顔に数カ所傷を負い、胸部を打撲したが、大事には至らなかった。1933年「左手のための協奏曲」をパウル・ヴィトゲンシュタインと共に初演。数年前から兆候のあった運動失調症と失語症が悪化。数ヶ月の休養後に開かれた演奏会が最後の出演となった。1937年パリにて死去。生涯を通じ独身であった。

水の戯れ

ラヴェルによるピアノ独奏曲。1902年パリ、サル・プレイエルにて国民音楽協会主催のリカルド・ビニェスのリサイタルにより初演されている。ピアニスティックな技巧に満ちた作品であり、当時としては、かなり大胆な書法により書かれている。

ラヴェル自身「水の戯れは、私の仕事に於いて、人々が指摘する事を望んだ全てのピアニスティックな新しさの原点である。水の音、そして、噴水、滝、せせらぎに聴く音楽的な音にインスパイアされ、ソナタの第1楽章のように2つのモティーフにより構成されるが、古典的な調性に拘束されることはない。」と自伝素描の中で語っている。
マルグリット・ロンは「生き生きと湧き出る水が風や光と戯れる光景を前にして受ける感じを、極めて繊細、精緻な芸術家が記譜したもの」と評した。楽譜には、アンリ・ド・レニエの詩の引用句が掲げられており、師であるガブリエル・フォーレに捧げられている。

・image #2

具体的な主旋律を持たない抽象的な作品。4つのセクションから成り、1小節に1回打たれる打楽器、2連符、3連符、7拍、8拍といったように、1〜9までの自然数が構成要素の属性として用いられている。
コラボレーションとして、映像作品へ楽曲提供された作品であるが、Audiostock 経由での利用も可能である。音源

・Feuillet d’Album 木管五重奏版

シャブリエによるピアノ独奏曲をフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットによる木管五重奏へ編曲した作品。
IMSLP ペトルッチ楽譜ライブラリーで楽譜のダウンロードが可能。楽譜
曲名は、フイェ・ダルボムと書くとフランス語の発音に近いだろうか?邦題としては「音楽帳の一頁」が定訳のようだが、英題では Albumleaf と訳されている。
1897年にエノック社より「五つの遺作」中の第4曲として出版されたが、生前、雑誌の付録として発表されている。
プーランクは、「メロディにオクターヴの裏地が付され、おそらく、シャブリエの最も甘美なページであり、シャブリエにとってとても大切なページである」と評している。

エマニュエル・シャブリエ(1841〜1894)

19世紀後半のフランスの作曲家。代表作として「グヴェンドリーヌ」、「いやいやながらの王様」、「スペイン」、「田園組曲」、「楽しい行進曲」、「3つのロマンティックなワルツ」、「絵画的小曲集」、「気まぐれなブーレ」といったオペラ、管弦楽曲、ピアノ曲がある。後のドビュッシーやラヴェルそしてプーランクに多大な影響を与え、近代フランス音楽の礎石となった。

フランス中部にあたるアンベールで生まれる。6歳の時に亡命中のスペイン人サポルタにピアノを習い始める。12歳の時、同じくフランス中部のクレルモン=フェランへ移り住む。この頃、タルノフスキという人物にヴァイオリンのレッスンを受けており、師は生徒の才能を見抜き、父親にヴィルトゥオーソへと育て上げる提案をしたが、「エマニュエルにとって音楽は稽古事の一つでしかない」と断固として断られた。

15歳の時にパリに移り住む。17歳、バカロレアに受かり、大学では、弁護士である父親の望む通り法律を学んだ。大学での成績が功を奏し、父親の学業へ対する拘束が緩くなったので音楽の勉強を続け始め、エドゥアルド・ウォルフのピアノの生徒となり、ショパンの古い友人であったヴァイオリニスト兼作曲家である、リシャール・オマーの生徒となった。ほどなくして、アリスティード・イガールにつき、がむしゃらになってフーガや対位法の勉強をした。内務省に務め始めてからもイガールとの勉強は続き、その影響はシャブリエにとって確実に有益なものとなっている。

ヴェルレーヌ、マネ、フォーレなど多くの芸術家と親交を持ち、当時、インテリな若者の集まるサロンとして知られていたニナ・ド・カリアスのサロンに足繁く通った。32歳の時、アリス・ドゥジュアンと結婚し二人の子を儲ける。36歳、当時名を上げていた台本作家ウジェーヌ・ルテリエとアルベール・ヴァンローの依頼を受け、オペラ「エトワール」を作曲。パリで初演され称賛を得た。39歳の時、ミュンヘンで観たワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」に多大な衝撃を受け、又、かねてよりカミーユ・サン=サーンスやジュール・マスネらアカデミック派に日曜音楽家と見做されていたことへの不満も募り、作曲業に専念するために内務省を退職した。

40歳からは、シャルル・ラムルー率いる新コンサート協会の秘書的存在であり、合唱指揮者を務め、ラムルーは音楽業界へ転向したシャブリエの支援をした。42歳の時、ラムルーの指揮により初演された「スペイン」が成功を収め、乗合馬車や道端で口ずさまれるほどに非常に有名になった。以後、ラムルーとのコンビで作品を発表している。充実した日々であったが、義母の提案により、療養のためパリから西に位置するラ・マンブロールで数ヶ月過ごした。47歳の時、レジョン=ドヌール勲章を授与されている。50歳を過ぎてから、健康が少しづつ蝕まれていき、殊に麻痺に苦しんだ。パリの自宅にて、妻と二人の子供に囲まれ53歳でこの世を去った。

・Perfect 4th - Interlude - Perfect 5th

3つのセクションから成るピアノのための作品。間奏曲(Interlude)の前後に、中心音から上下に完全4度(Perfect 4th)や完全5度(Perfect 5th)といった音程が積み重ねられていき取り除かれていくアーチ状の形式による曲が置かれ、全体の構成を成している。
Interlude では、2つの完全4度の積み重ねにより作られる2つの和音の距離を変更することで和音としての素材を得ており、増4度/減5度の距離で締めくくられる。全体の構成、構成音、1小節に同音が2回使われる、といったルールは厳格に守られるが、その他の要素は自由に扱われ、多様な様相を帯びる。
今現在を中心として、人類が初めて音楽としての音を発した時のような遠い過去から、人類史の終焉による遠い未来までの、歴史を俯瞰するような作品である。

参考資料

  • Arbie Orenstein, Ravel - Man and Musician (New York, Dover Publications, 1991). アービー・オレンシュタイン著、井上さつき訳. 「ラヴェル 生涯と作品」音楽之友社、2006年
  • Marguerite Long, Au piano avec Maurice Ravel, Editions Julliard, 1971 (Pierre Laumonier). 北原道彦、藤村久美子訳.「ラヴェル − 回想のピアノ」音楽之友社、1985年
  • 「作曲家別名曲解説ライブラリー11 ラヴェル」音楽之友社
  • Francis Poulenc, Emmanuel CHABRIER (Genève et Paris, La Palatine, 1961).
  • Roy Howat, WORKS FOR PIANO Emmanuel Chabrier (New York, Dover Publications, Inc, 1995).